2018年9月2日日曜日

Honmoku meruhen


以前から探していた古本を購入した。
1957年出版の写真エッセイ集で、
女性写真家・常盤とよ子著「危険な毒花」なのね。

売春防止法以前の横浜の赤線で、
上衣のポケットにレンズを忍ばせながら撮影した写真は、
リアルな娼婦たちの素顔が写し出されてるんだよね。
とくに本牧のチャブ屋の描写は横浜らしい。

好きなんだな、こーゆー古書が。
ただ今、YouTubeで鹿内 孝を聴きながら読んでます。





ボクが子供ん頃には、まだ街中には赤線建築がたくさん残っていたし、
同級生の母親や近所のおばさんにも赤線出身者がいた時代ですもん。
遊びに行くと、立膝で花札を切っていたり細い指に挟んだ煙草を燻らせていたり。
子供ながらに、なんだか分からないけど不思議な違和感を憶えたんだよね。

3 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

なごり雪様

興味深い写真集だね。
進駐軍のアメちゃんにだっこされてる女性もいれば、
むりやり言うことを聞かされてるような写真もある。

国連が〝従軍慰安婦〟問題で日本に対し非難がましいことを言ってるけど、
「なにアホ抜かしてけつかんねん!」と声を大にして言いたい。

アメリカ兵が日本に進駐してきたとき、一番最初に要求してきたのが
「慰安所を作ってくれ!」だった。

で、いろんなところに慰安所をつくって大和撫子たちはせっせと奉仕した。
銀座松坂屋も「オアシス・オブ・ギンザ」と名を替えられ、
400人の撫子たちが異人たちの慰み者になった。

売春防止法が施行されるのは昭和33年。ボクが6歳の時だ。
それまでは大っぴらに女を買い、筆おろしができた。

バスケの日本代表選手たちが買春するのはいい。
それなりの場所できちんとカネを払い、用を済ませた。
別に食い逃げしたわけじゃない。

ただ日本代表のマークの入ったウエアーを着ていたのはお粗末すぎた。
そこに運悪く正義を振りまわしたがる朝日の記者がいた。

朝日関係者は日本の不名誉になることなら、何でも報道する。
サンゴ礁を自分たちで傷つけておきながら「日本人の不道徳ぶり」を
訴えたりもする。彼らには若者の将来まで考えてやる〝惻隠の情〟など皆無だ。

ボクが記者だったら、彼らの将来を考え、
見て見ぬふりをしてやる。

日本には進駐軍の兵隊の腕に、狆コロのようにぶら下がったおネエさんたちがいた。
彼女たちは性犯罪から一般の女性たちを守る〝性の防波堤〟だった。
どんな気持ちで春を売っていたか、少しは考えたほうがいい。

たぶんこの写真集は、戦争の悪を告発する貴重な記録なのだろう。

なごり雪 さんのコメント...

嶋中 労さま
ちょっと出かけてきますから、明日お返事を。
労さん、早い復帰を望みます。さびしいゾ。

なごり雪 さんのコメント...

嶋中 労さま

敗戦国は口を閉ざさねば。
いやいや、今こそ語らねば国益を損なうことになります。
終戦間際のソ連の侵攻や過酷な労働の果てに凍土にすてられた日本人たち。
アメリカさんによる『黒地の絵』(松本清張著)は、全国津々浦々であったはず。

まーね、このくらいで。