二十年位前、ひょんな縁で知り合いになった、
とある街の旧家の当主さんに、
「一度遊びにおいで」
なんてお誘いを受け、お邪魔したときのことです。
古いモン好きのオジに、(オジ、当時は20代の若造)
家の歴史でもあるアルバムを出して見せてくれました。
その古いアルバムのセピアに変色した写真の中に、
昔の日本人らしくズングリしてはいるが、
口髭を蓄え、三つ揃えの背広を粋に着こなした中年紳士が写っていました。
夏らしくパナマ帽を被り、麻の背広の質感も伝わってくるような写真で、
他にも浴衣姿や子供たちと写っている写真が多々あり、
戦前の古き良き、親父が親父らしかった時代の家族の記録がありました。
(オジが羨む様な)
思わず当主さんに「このお方は?」と尋ねると、
当主さん少しの沈黙のあと、
「小野さん、小説の『海と毒薬』はご存知ですか?」
「ええ」
「その医学部教授ですよ」
「エッ!」(驚)
当主さん、驚いているオジを尻目に、
その方の話をたくさん聞かせてくださいました。
(縁故関係で、その昔当主さん宅に下宿していたそうです)
当主さんが語る、その教授さんの人物像や楽しかった思い出話と、
あの小説の内容を考えると、なにか不思議な感覚を覚えたオジでしたね。
真実なんて知る由もないが、
当時のGHQの公表や後の小説で印象付けられた教授の人格と、
実際の人物像では、かなり違うような気がしましたね。
(当主さんが語る話と、その写真を見るかぎりでは)
戦前の写真に残る幸せな家庭が、戦争によって無残にも消えてしまった事実。
「戦争は怖いなぁ」
RONSON PAL OIL Art Deco(1941年製)
1941年頃はもう『Art Deco』は終焉してたハズ、でも立派にアールデコっす。
ライターとシガレットケースが一体になった物。(どんな女性が使ってたのやら)
4 件のコメント:
こんにちは!
当時、九州大学医学部で起きていたことと
管理人様の拝見した写真。そのギャップに
驚かされますね。
人は時として善人にもなれば、悪人にもなれるという典型的な例かもしれませんね。
ナチスや731にもありますように家庭では
優しい父が仕事場では狂気の沙汰をみせる
これが人間の恐ろしさというものかもしれません。
dawase86様
いつもdawase86様のブログには、感心したり笑ったり、たまに「ドキッ!」っとしたりと、楽しんで読ませてもらっています。良識のある『コメント返し』には、深い感銘を受けるときも多々で御座います。
さすがにブログでは書けませんが、
身内だから知り得ることを聞き、
(執刀に至った経緯、
GHQに逮捕された経緯などなど・・・)
当主さんは高名な教育者でしたので、
その話を書籍にでもした方が、
などと申しましたら、(名誉回復の為にも)
「彼は全てを背負い、墓場まで持っていったのです。彼の望むところでは無いのでは?」
『墓場まで持って行く』かぁ・・・
こんにちわ!
戦争は怖いと想います。
勝ち負けに関係なく大勢の人々が犠牲になるからです。
第二次世界大戦において原爆を落とされた国、日本。忘れる事なく生かされる生き方をしなくては成らないのではと自分自身に言い聞かせています。
田舎者様
終戦記念日になると話題に上る『靖国神社』ですが、『遊就館』の見学をすると、いかに戦が愚かなことかを感じます。
戦死者の遺品の手紙を読むと、残される家族への想いが静かに伝わってきます。
それはとても重く読み手の心に刺さりますね。
(嗚咽無しでは読めない程)
オジも親になり、あらためて今の平和な生活に感謝です。
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