2018年10月14日日曜日

Picnic

戦前の観光絵葉書を手掛かりに、
現在との対比をしたく「武蔵嵐山」で豆助と史跡巡りなど。
京都の嵐山(あらしやま)の風景によく似ていたことから、
昭和の初めに林学博士・本多 静六氏により
「武蔵嵐山(むさしらんざん)」と命名された地域なのね。


上部に写ってるのが与謝野晶子も逗留した「松月楼」でっす。

<<槻の川 赤柄の傘をさす松の 立ち竝びたる 山のしののめ>>



現在は河原に降りられず、ここの少し奥でした。


けっきょく分かったのは料理旅館「松月楼」の跡地だけでしたが、
里山を散策したり、中世の山城跡まで登頂したりしてのんびりと。






んで、昼食難民に陥る寸前に、隣接する小川町の「二葉(楼)」にどーにか滑り込み、
上等なお茶漬けの「忠七めし」をサラサラと食す。
これ、旨いと思う。







2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

なごり雪様

ボクもこの店の忠七めし食べました。
特別の感慨はありませんでした。

昔の色褪せたような写真はいいもんだね。
この手の写真を見ると、なんだかホッとします。

老いたのかな……

なごり雪 さんのコメント...

嶋中労さま
いやいやまだまだ老いてません。

戦前は観光客で賑わった渓谷に行ってみました。
たかだか90年前の繁栄なのに、悲しいぐらい「兵どもも夢のあと」でした。