2024年10月4日金曜日

Ise Udon


今年一番の肌寒さ。さきほど手打ちのうどん屋さん(※)が油揚げと豆腐を仕入れにお出でになり、「そうだ、うどんを食おう」と自分でうどんを温める。(お得意さんの店は定休日なもので)出汁を引き、本葛でとろみをつけてうどんに流す。あんかけにはコシの無い伊勢うどんで、薬膳として片栗粉ではなく本葛でお願いね。おろし生姜も多めに乗っけて。んで、油揚げと九条葱できつね丼も。なんで関東では『きつね丼』や『衣笠丼』を出してる店が無いのだろ。

(※)ゆ乃うどん 埼玉県川越市元町2丁目1-1



大量に秋刀魚を頂いたのだが、塩焼きで食すにはなにぶん小さい。半分にカットにして、波照間の黒糖と醤油をひたひたに。シャトルシェフで48時間放置プレイを。身は残るが、骨がまーったく消え失せた。

いつもの年より早く柿の木の落葉が始まりました。このまま本格的な秋に突入でしょうかね。気温の⤵により湯豆腐向けの木綿豆腐の需要が増えるのであります。その分、奴用の絹豆腐やおぼろ豆腐の売り上げは減るけどね。


2024年9月29日日曜日

Kikka


深夜に小津安二郎の『麦秋』(1951年製作・松竹)を観る。

娘(原節子)を想う家族の心象を描いた心優しい内容なのだが、現代作品では考えられぬ放送禁止用語やちょっとしたパワハラやセクハラも普通に織り込まれていて面白い。普通にリアルなのであります。
立場的に当てはめると、ボクらは両親役の菅井一郎(当時44歳)さんと東山千栄子(当時61歳)さんとなるのだね。衝撃ですが、1951年の日本人の平均寿命は男60,8歳女64,9歳だったのね。

ありゃりゃ・・・

今や80歳超えだもの、医療の進化に拍手。

秋の夜長であります。磁器製の菊花香立てを入手して、早速昨夜、伽羅を灯してみた。
どう?いい感じでしょ。

2024年9月25日水曜日

Old Bottle

故・成瀬巳喜男監督の『女が階段を上る時』(1960年製作)の舞台は銀座三十間堀川沿いのBAR『ライラック』、そのバックバーにはこれが並んでいた記憶が。(あやふや)

入手したヴィンテージの赤蝋VAT69を開栓するのだが、さすがに65年からの古酒はコルクもきっとポロポロだろーね。で、開栓したら、やっぱりポロポロでござんした。
裏ラベルにある輸入元は江商株式会社です。兼松との合併前ですので、1967年以前のスコッチであります。プラス首ラベルの『雑酒』表記は1961年以前ですし、ってことは、それ以前のダンピーボトルでございますね。たぶん1959年生まれのボクと同じぐらいでしょうか、キーモルトは今は存在していないグレネスクか?65年の時を経て開栓したばかりですのでまだ何とも言えぬ。軽やかでないのは確か。

ボクがオールドボトルを好むのは、今は亡き親父や祖父たちの時代の酒を呑むことで、時を超えて酌み交わすような感じかな、って都合の良い言い訳をぬかす。
ヴィンテージワインと違って、ブレンデッドの古酒は適価で入手できますで。





2024年9月23日月曜日

Edo



連休ですが特別な予定は無し。んで、ちょっと時期尚早なのだが、関西の知人への土産を入手しに浅草と銀座へ。先ずは腹ごしらえで上野『ぽん多』でポークソテーを食すことに。少し雨がパラついたせいか、開店時間を10分過ぎていたけど一巡目に。キスフライもハーフでいただく。朝飯を抜いてきたので胃袋が呑み込むのを急ぐ。ああ、沁みる。いつ来ても間違いのない味で美味しい。着皿から20分で平らげた。

時間を掛けて浅草での買い物を済まし、銀座に移動して買い物と甘味を。バナナサンデーを銀座ウエストで。ぽん多もウエストも定番中の定番だけど、旨いんだもの。


2024年9月19日木曜日

Kangetsu

中秋の名月の晩、仕事後のグラス一杯のロックで寝落ちしてしまい、中秋の名月を見損なってしまった。気が付いたら少し雨模様で、見上げてみたが頭上はもちろんのこと遠い晴れ間にも見つからなかった。せっかくソレ用の棹菓子を用意したり団子を作っておきながら、やっちまった片月見。トホホ。



最近は和菓子業界もどんどん変化してましてますねぇ。ただパステルカラーな練り切りを作れば映えて売れるものではなく、発想と言うかセンスと言うか若い菓子職人の天賦の才にはおったまげです。

今宵こそ羊羹にて観月を。(乃し梅本舗 佐藤屋謹製)


団子は自作のボウモア(モルト)を仕込ませた白玉で、みたらし餡はやめて鴻商店の生砂糖に少々の白醤油で蜜を作る(強い個性を好めば、蜜側でボウモアを)。食す前にやまつ辻田の山椒粉をパラパラと。茶は台湾茶葉に金木犀をプラスして。


<<ローカル話題であります>>
先日のこと野暮用で車を走らせていたら、たまたま「なぜここに?」ってな場所に小体な御菓子司ができていた。覗いてみたら真面目な御菓子が並んでいまして、話をしたら若いご夫婦で、これまた真摯な対応でありました。川越からも茶道関係の注文が多いらしい。(撮る前に孫の口にはいってしまったので、写真は無しで)
県立日高高校前の『四季菓 りょう』さんです。

知人の川越の餅菓子店も娘さんが跡を継いたけど、最近の若い女性は将来が愉しみな子が多いねぇ。









2024年9月15日日曜日

Le Manoir D’HASTINGS



本日、古書店で注文していた1990年12月号の雑誌『太陽』が届いた。特集は「フランス料理の新世紀」であります。表紙はフレンチ(LA PRIMEUR)から転身した「ぎたろう軍鶏 炭火焼鳥 たかはし」の高橋祐二氏で、若手で紹介されているのは、他に宮代 潔氏(Km)五十嵐 安雄氏(CLUBU NYX)田辺 年男氏(A TA GUEULE)小峰 敏宏氏(LA TABLE DE COM・MA)北島 素幸氏(北島亭)斉須 政雄氏(Côte d'Or)であります。1956年生まれの小峰氏以外は皆70代で現役。小峰氏も故郷に戻り続けられている。まだまだ65歳のボクが年長者の料理を食すことができる。フランス料理はすんごいなぁ、、、


たまたま今日の昼は五十嵐シェフの銀座『Le Manoir D'HASTINGS』で初老♂二人フレンチを。いつもお世話になっておりますイラストレーターD氏にお礼のつもりでね。美味いのよ、ほんと美味いのだよ。和食が生活の99%のボクだけど、ここを目指すとなると数日前から節制しますもの。






Kappo





たまたま、1991年の雑誌『太陽』を古書店にて購入。特集は当時の先端の割烹店であります。思わず「おおっ、懐かしいねぇ」と、若かったから怖いもの知らずで訪ねた店も数店ありました。京都の「ふきあげ」さんや人形町「きく家」さんは今も交流はありますが、掲載店の八割方がもう存在しておりませんでした。たった33年なんだけどね。


最近は仕事関係含め出会う方々は年下の人間ばかり。例えば外食をしても料理人はほぼ年下で、それも20~30歳も若かったりしてね。若い人には夢があり、未来を語る姿は実にエネルギッシュで好いのだけれど・・・

ちょっとジィさんは疲れてしまう。

ここんとこ、若い頃のように年長者に心身をゆだねられる店を探してしまいます。