2019年7月28日日曜日

Formosa Boulevard


「ゆっくりしたい」と言うカミさんを家に残して、
台湾フリークの娘たちと代々木公園の『台湾フェスタ』まで。

何を今さらタピオカミルクティーなんだけど、お付き合いも大切ですからね。
せっかくだもの、娘たちとは別にかわいい女子が窓口の店に並ぶ。
なんだか旨さ二割り増し。(ヘヘヘ)



大行列の『胡椒餅』に並ぶ娘たちを横目に、屋台から屋台を冷やかして、
運転手もいることだから呑むことに。
台湾ウヰスキーは味に定評があるけど、ビールも旨いじゃないか。
大鶏排を片手に3杯をやっつける。
「くぅ~」

呑み過ぎたかな、野外ステージの台湾バンドが唄うテレサテンが泣ける。


昼が近づくにつれ大混雑となり、それに炎天下で暑いし、
道玄坂まで歩いて『麗郷』で台湾料理を食うことに。
しじみのニンニク炒め、焼きビーフン、冬瓜のスープ、キクラゲ炒め、エトセトラ。





♬ 星屑を地上に蒔いた この街のどこかに、、、♬



2019年7月26日金曜日

Peach hip

人ごみで、スッパ臭い衣類の臭いを感じると、
ついつい己の衣類に鼻を近づけるワタシです。
こー見えて、デオドラントには人一倍気を使っておりまする。
世間では、臭いとくればオヤジがやり玉にあがってるけど、
けっこう老いも若きも男も女も関係ないよーで。
先日の東武東上線の満員最終列車で再確認を。
あらためて人間は動物なんだなぁ、と。

風呂上り、娘にもらったシッカロールを全身に。
首筋、わきの下、オマタ、桃尻、まんべんなく。




6年前に親父は軽い脳梗塞を患い、
それ以来、やはり動きも感覚も鈍くなっていることを感じますねぇ。
その父が先週こと、好物の鮨をのどに詰まらせ危うく仏になるところでした。
連絡を受け、3階まで駆け上がり急いで指を突っ込んで吐き出させ、
無事生還を果たした親父でした。
んで、今週は今週で母が救急車で運ばれて入院。
肺炎を悪化させてせてしまったのね。

先日、父母の友人が肺炎で死にかけたそうで、
全快したと挨拶に来たのだが、、、
よせばいいのに、母が座敷に上げて小一時間のおしゃべりを。
父は予防接種済ですから大丈夫でしたが、
嫌がって注射をしなかった母は、
どーやらこれが原因だったよーで。

「えっ、そんなことで?」ってなことが命取りに!
それが高齢ってことなのかな。





2019年7月22日月曜日

Owarai geinin

もう十年以上昔、
テレビの取材でカラテカの二人が来てくれたことがあったのね。

気が弱そうで線の細い矢部君が一生懸命喋り、
その後ろに隠れるような立ち位置が入江君だった。
「お笑いなのに大丈夫なのかな」と思えるほどおとなしい子で、
取材後の豆助や娘との記念写真で、初めて笑顔を見せてくれた気がします。
数年後、イリエコネクションなるブレイクの仕方には驚いたけどね。

あの真冬の取材の日、若手の二人はダサく安っぽいジャンパーを着てて、
袖の部分の汚れも目立っててねぇ。
売れてない芸人、ADさんより低姿勢、一生懸命、だから好感を持ったし、
それに比べて、ずんの飯尾の、、、、、、、、、

ここんとこ、テレビをつければ吉本興業一色、
フっと思い出したもんで。



自分で修理したとき、火花を吹いてそれっきりだった。
壊れたまんまじゃかわいそう。
修理を依頼してあった電気スタンドが戻ってきた。
高度経済成長期の昭和30年代のやつです。
サイドの梟ランプもかわいいでしょう。





2019年7月21日日曜日

After 6

仕事が終了後、
同業の友人との「鮨っ食い」のために『はる駒』さんに向かう。
少し早めでしたので、お茶の水駅から坂道を下り神保町に。
7月半ば過ぎ、意外に涼しい宵です。
通り過ぎる飲食店の、硝子越しに見える旨そうに酒を呑んでる人人人、
つま先立ちの急ぎ足になってしまいます。


マイルールで五分前に現着するボクと、
毎回きまって約束の五分後に扉を開ける友人、
サッポロラガーのボクとスーパードライの友人、
60歳のボクと45歳の友人、
まったく性格も違いながら、鮨の好みは意見が合致してるのね。

「アジが驚きですぜ」と先週にお邪魔した豆助が言ってたので、
アジを筆頭に煮ダコや塩蒸しを切ってもらい宴の始まりです。
さて、食うこと、呑むこと、しゃべることに集中します。
友人はつまみで呑むのが好みで、ボクはとにかく鮨が食いたい。
んで、春子、アオリイカ(?)、赤身など片っ端。

親方、女将、常連I氏と気が付けば夜半まで。
「最終が無くなるぞ」って時間まで愉しんでお開きに。
友人とJR水道橋駅で別れ、
ボクは後楽園駅から飛び乗り、久しぶりの午前様で。



2019年7月16日火曜日

Kirisame

開店一時間前に『蛸長』さんに 現着し、
雨の中、何を注文するか思いを巡らす。
時間とともに後ろの行列も長くなり、
祇園祭の宵宵宮に急ぐ外国人も、
「ここは何屋でーすか?」と興味を抱いてる。

誰かが「おでん屋です」と。

一番福なのに、なんだか定番を選んでしまう地味なボクに対し、
カミさんは季節限定や珍しモンで攻めている。
カミさんの和布や巻甘藍や賀茂茄子にちょっかいを。

「旨いねぇ、、、」

残念ながら小一時間で新幹線に飛び乗ります。
八重洲から運転なのでポン酒は呑めません。
分かっていても、ノンアルなのがもどかしいのよ。
夏のおでん、京都のおでん、好いモンですぞい。



それにしてもこの店に流れる時間・空気・人との距離感・たまんねぇーのよ。



常連の彦十女史のお手配で、『千登利亭』の鮎寿司も手中に収め、
蒸し風呂のような京都を後にする。
発車と同時に、終点・東京駅まで眠りに墜ちた。

つかの間の日帰り旅も終了です。
八重洲口を出ると、涼しいのなんの。


2019年7月15日月曜日

Hamo

よっぽどでないと夏の京都には行きません。
暑いんだもの。
昨日は激暑でもないけれど、梅雨の京都の湿気には参りましたねぇ。
全身の毛穴から、汗と言うより蒸気が吹き、粘度の高い脂がにじみ出てきます。
ボクの場合、いちおう三日分の着替えは持ってきました。
へへっ!
どう見てもバックパッカーの風体で、
背負った荷物の量にカミさんはあきれ顔です。

昼食後には我慢が限界となり、
ちょっとカミさんを待たせて公衆浴場で着替えを実行。
トイレ(大)も済ませ熱い湯にも入りましたので、素晴らしく快適に。

ただし、30分後にゃ元の木阿弥となるワタシ。










『松むろ』さんで昼食を。
祇園だけど古門前はひっそりと静かです。

引き戸を開ければ別世界の涼しさと静寂、
若い衆が引く鱧の骨切りの音だけが店内に。
冷えた生ビールで心身ともに落ち着いた頃、主さん登場。

最初、強面に見えた主さんだが、
真面目な話も、ときどきクシャクシャな笑顔で話される笑い話も、
つねに気配りと思いやりが根底に。
店主は『瓢亭』出身の58歳、
酸いも甘いも嚙み分けている年齢だもの、
話題の若造たちの店には無い、身をゆだねられる安心感がありまする。

美味かったし、なにより愉しい時間でした。


Konchikichin

今年も心(精神)に問題を抱えた87歳の母の願掛けに京都まで。
相変わらずの「自己愛性パーソナリティ障害」の症状は酷いものの、
前回の願掛け後、
発作的に起こる暴力的錯乱が無くなっただけでもありがたいことでした。
故に前回に引き続き御祈願を。

たまたま祇園祭と重なり、
御祈願後は、カミさんと京都見物を楽しんだ日帰り旅でございます。



たいへんですね、修行の小坊主さん。



お得意様でありまする、妙心寺塔頭のお寺さんにもご挨拶を。


北野白梅町駅で降りて、あわ餅食べてタクシー移動にする。


雨の京都の暑さと湿気、
ビッショビショになりながらお目当ての粽を求めて洛中に。




舞妓さんが販売をしてるのね。

この街では、いろいろな「祈り」の姿を見ることができます。
ひたすらお百度を踏まれてる方、手を合わせたまま何かを呟いてる方、
宝珠や仏に手を当て祈る方、
目に映る光景を真似て、ボクも祈ります。


2019年7月12日金曜日

Tsubame

今年は梅雨らしい梅雨で、
去年の30℃後半の猛暑など遠い記憶の彼方にもありません。
ただこうも曇天や雨空が続きますと、
精神までがどよ~んとなってしまうのも事実、
こんな時は、やっぱり家族と過ごすのが何よりイチバンかな。
カミさんや娘たちとの生活こそ、
何を疑うことも無い心の安定(安心)が保てますからねぇ。


んで、外飯。

気軽にファミレス値段で洋食を。
昔からよく行くつばめグリル系列の「つばめキッチン オアゾ」です。
ファミレスとの違いは、正統派の料理人が作る料理です。
ボリュームもあります。
いつも混んでいながら、テキパキとサーヴィスもきちんとしています。







2019年7月7日日曜日

Banpeiyu

繁忙期はアルコールの力を借りて早寝早起きに。
500mlの焼酎ハイボールかスーパープレミ2本が一日の終わり。



今日は定休日、
深夜に目覚めて、ザボン漬けと炭酸せんべい片手にまた呑むことに。
先日、日本橋の『長崎館』で買ってきたやつね。
子供ん頃、祖母が九州の実家に里帰りする度に買ってきた土産がこれだった。
あの頃はこれを美味いなどと思えなかったのに、
齢60、郷愁の味と思い愛おしくなりました。
あと数年で記憶の中の祖母の年齢になるし。

諸事情で、育った大分竹田の寺からこの地の空き寺にたどり着いた祖父、
時は大正の末期、別府生まれの祖母との道行を考えるとねぇ、
自分のルーツに少し胸が熱くなります。

遙遙と。

んで、ボクの今があります。

2019年7月1日月曜日

Teito

疑似タイムスリップしたさで東京蛍堂に。
ここは凌雲閣 (浅草十二階)下の銘酒街にあった西洋料理店で、
奇跡的に残ってる建築物は、エログロナンセンスな当時のまんまです。
現在は大正浪漫なアンティークショップだけどね。

戦前の十二階下は、銘酒屋とは名ばかりの私娼窟だもの、
料理店の女給たちも、料理や酒を給仕しながら奥の奥にある小部屋で春も売る。
それこそが彼女たちの唯一の収入だったんだろうね。
その小部屋では今、アンティーク雑貨たちが「おいでおいで」と手招きを。
大正~戦前の浅草は、人間の欲望ラビリンスのような世界だったのかも。

サイコメトリーにはヤバい場所だぞ、この凌雲閣下は。

 


ここがBARだったら愉しいのにぃ。

Asakusa 6-Ku

本日は実家暮らしに戻る長女の部屋の片づけのつもりでしたが、
雨天順延で来週に変更。
さて、どーすんべ。
気分の優れぬカミさんを家に残し、次女と浅草まで。

三社祭後なのにかなりな人出です。
ティナ ターナーばりのヘアの女性ホームレスが、
口角で煙草をくゆらせ万札を数える姿だったり、
場外馬券に急ぐのは、三ニスカ・タンクトップのスッピンの老齢女装だったり、
4昔前から戻ってきた演歌歌手のいで立ちのお兄さんだったり、
すんごーい光景の連続だもの。
さすが浅草、筋金の入り方が違い過ぎてカッコよく見えるのだ。
この街での人間ウォッチングはボクを飽きさせません。


さて、昼食は何を食うかな、、、と。
次女の提案で、『ゆたか』でボクはロースのとんかつ、次女はヒレ、
ホタテフライと海老サラダと塩辛はシェアをした。

美味いですねぇ。
サラダのエビも直前に茹でてあったり、カツの火入れもパーフェクト、
気配りのできた従業員さんたちのサーヴィスは、
味の印象をもいちだんと高めますゾ。






ひさご通りの『パーラーゴトー』で甘味も摂取。