「齢90はコロナが治まるまでは家でテレビでも見てなさい」で過ごしてきましたし、またコロナ禍を理由にこちらのペースで毎日を乗り切って来れました。母の介護の話です。それでも時々はドライブぐらいは連れては行きましたがね。
元来、自己愛の強めの母でございまして、故にストレスなのでしょうか?日々ヒステリックグラマー化しとります。んで、昨晩は仕事終了後に母のストレス緩和に尽力を。
車イスと母を車に乗せて日本橋へ向かう。首都高五号線が少々渋滞気味でしたが、高島屋の閉店25分前に新館の地下駐車場にすべり込みセーフ。んで、車イスに乗せて地下食料品売り場に。「なんでも食べたいものを言って」と母に振れば、ウエストのドライケーキと虎屋の羊羹に、メゾンカイザーのパンと野田岩の鰻etc.と欲望は尽きることのない母でございました。閉店の音楽とともに日本橋を後にして新宿に向かう。
せっかくだから、ボクが新宿のユリシーズだったころの街を車イスで疾走することに。
伊勢丹などは置いといて、倅のボクでさえ現存の記憶の景色は「どん底」「DUG」「紀伊国屋」ぐらいなのに、母の知ってる昭和の新宿は記憶が蘇るきっかけさえ掴めぬようでした。「新宿コマ劇場」の今の姿に驚き、歌舞伎町も二丁目でも行き交う若者に異次元を見ているようです。
それがですね、「ちょっと刺激が強かったかな」は杞憂で、彼女なりに面白がってくれたのが幸いでした。
母、『新宿の女』となる。