2024年9月15日日曜日

Kappo





たまたま、1991年の雑誌『太陽』を古書店にて購入。特集は当時の先端の割烹店であります。思わず「おおっ、懐かしいねぇ」と、若かったから怖いもの知らずで訪ねた店も数店ありました。京都の「ふきあげ」さんや人形町「きく家」さんは今も交流はありますが、掲載店の八割方がもう存在しておりませんでした。たった33年なんだけどね。


最近は仕事関係含め出会う方々は年下の人間ばかり。例えば外食をしても料理人はほぼ年下で、それも20~30歳も若かったりしてね。若い人には夢があり、未来を語る姿は実にエネルギッシュで好いのだけれど・・・

ちょっとジィさんは疲れてしまう。

ここんとこ、若い頃のように年長者に心身をゆだねられる店を探してしまいます。

Natto


半世紀以前はこの街にも納豆屋さんはたくさんあったのね。それこそひと町内に一軒ぐらいの。それが豆腐屋以上に消滅するのが早かった。スーパーで買えば物価の優等生だもの、それも致し方ないことだったのかね。画一化した味と食感に慣れてしまった今だからこそ、ボクは取り寄せて愉しんでます。とくに北関東や東北、地域性の違いは面白いぞ。

納豆はパックのまま食べることはいたしません。かならずそれ用の器に入れて練ります。たとえ付属していてもタレやカラシも使いません。本和芥子を湯で溶き、生醤油で食すこととしております。こだわってるワケでは無く、そっちの方が美味しいんだもの。今は無い大豆問屋の営業が言ってた「ひきわりは(どーせ砕くのだから)上質の大豆は使わないよ」が脳裏にあり購入はしない。食したいときは納豆を自分で叩きます。通ぶるのなら「納豆は大粒に限る」ですが、御飯との絡みで小粒が好み。
いつもの舟納豆(茨城)が「お取り寄せ」で届いたので、いつもの納豆用の器で捏ねる。これ以上は無い高取焼の向付であります。高取釉はほんとうに美しい。薬味は葱か茗荷か塩麹も、本日はエシャロットを縦切りで。


2024年9月4日水曜日

Obon

書斎はボクの秘密基地です。
やはりコロナ禍の影響はあるのでしょうかね、あの頃から自宅書斎での独り呑みが主流です。その日の気分で酒を選び、簡単にちゃちゃっと肴を皿に置く。呑んだらそのまま寝落ちして、早朝っていうか深夜に目覚めて後かたずけを。そしてお仕事。

独りって悪くないなぁ。

ときにジオラマや箱庭のように、盆の中は自分だけの小宇宙であります。晩酌の宵は、酒器や肴皿をあれやこれや考える愉しさがあります。これは京都の指物師二代目川本光春・作の松の木盆で、細部の仕上げも漆器の木地師とは異なりますねぇ。人間(ひと)ではなくモノと対座する。それもまた愉し嬉しです。





2024年9月2日月曜日

Aburaage

昨日、隣町のスーパーへ食材を仕入れに行ったら、もう新米が売り場の壁一面に高く積まれていたのね。あっけなく米騒動も終了でありました。


焼いてから葱やら茗荷を乗せて、ちょろっと醤油をたらして食べるの人が多いかな。って京都の人に言ったら、「へぇ、お揚げさんを焼いて食べますの?」って(凄く)驚かれました。生粋の京都人の彼女には、油揚げは炊いて食べるモノらしい。たしかにボクも菜っ葉と炊いた(煮る)のが好みですが、地元のお客さんたちは、皆味噌汁やお稲荷さん以外は焼いて食べていると言う。例えばピッツァ台にしたり。西と東では油揚げに対する考え方は違うみたい。やはりそのお方が言うことでは、京都はお豆腐よりお揚げさんの方が食卓に上がることが多いとのことでした。(へぇ)
今現在の油揚げの大豆は宮城産のタチナガハ種です。お取り寄せは関西はもちろんのこと、意外に多いのはうどん圏の讃岐です。

酒の肴でゴルゴンゾーラと油揚げとオリーブオイルと塩コショウ。あと小葱を散らす。揚げの油が太白胡麻ですのでゴルゴンゾーラに。菜種ならコンテの方が好いかも。



2024年8月27日火曜日

Long, long time ago.

6歳年長の先輩の奥さんと長男が豆腐を購入しに訪ね来た。先輩はすでに鬼籍の人となり15年とのこと。なにしろ35年前から不義理で御座いましたからボク。あの頃は小学生だった長男クンが45歳で、体格も顔もラッセル クロウによく似た先輩でしたが、長男はもっと大きいラッセル クロウでありました。一目見てそのDNAの神秘に笑ってしまいましたよ。嬉しかったねぇ。


好物が銀座三越に(期間限定で)出店していたので買ってきた。ココのは御上品系なもので、塩柑橘果汁で好みに調整して食うことに。萩の作家モノの編笠向付に置く。先月入手のアードベッグアンソロジー 14は、少々ペットを振って微炭酸にしたモノで割る。

このサイズなら二切れがボクの丁度。以前に比べ食べ量はめっきり減ったのだが、これでも減らないんだよなぁ、体重が。酒も蒸留酒おんりぃで過ごしているのだが。





2024年8月26日月曜日

Sushi

久しぶりに銀座。久しぶりに漢独り鮨で「鮨 こばやし」に。最近メディアでよく見かけていたけどやっぱ満席。ラスワンにすべり込み。運転の為ノンアルでありますが、つまみを切ってもらい握りへと流れる。カウンターは皆漢で、皆黙々と鮨を食う。どーやら鮨オタク達らしい。会話も無く無音の中でスマホのシャッター音だけ聞こえてきます。アルコールも無しで、お茶と握りを一通り食ったらお帰りなさいました。正味45分、まさに鮨哲学。

ボクはと言うと、
独りになったので、世間話、噂話、自慢話で愉しむ。だってカウンターの醍醐味だもの。







2024年8月25日日曜日

Chinoiserie

お盆は河岸も休みだったし、今日こそ鮨でも食いに行くかな、などと企んでおります。

麻婆豆腐も青椒肉絲も洋皿で済ませてきましたが、やっと古物商でそれらしきの皿(径22,8㎝)を5枚入手したのね。一見シノワズリですが、これでも江戸末期の瑠璃釉古伊万里で、金彩で龍と鳳凰がユーモラスに施されてあります。取り寄せた赤叉焼をチンゲン菜とともに。赤い色素は紅麹色素なんだけど、ちとモヤモヤ。かと言ってニコチールでもねぇ。でも叉焼は赤くなくっちゃ叉焼じゃ無ぇ。


2024年8月23日金曜日

Shoshū

暑さは疲れるねぇ、夏はもういいや。連日の猛暑ではありますが、盆が過ぎて気分はさっさと初秋に舵を切ります。

昨日の早朝、今年初の虫の音を聴く。

先週、30代の頃に銀座三越のショップでお世話になっていた店員さん2人に大丸東京店のショップで再会を。当時20代だった彼(彼女)らも50代半ばでありまして、女性のIさんは早々と白内障の手術を済ませ、♂のAくんは介護脱毛を兼ねた流行りの全身脱毛の施術済だとのこと。昨今の都会の若い(若くも無いけど)人は進んでるねぇ、ボクもブラジリアンワックスでも購入すっかね。ウソです。

ここんとこ男の体臭がネットで話題ですが、まーね、ボクも労働者ですから仕事中は常に汗まみれです。昼と夕にシャワーか風呂で流すけどね。かと言って仕事中は香りはご法度なもので、「おじいちゃん、臭~い」と指摘されぬように気をつけまーす。ただしですね、オフタイムは何かしらの薫香を迷惑にならぬ程度にピタピタと。


現在の常用はイリスウキヨエかセルジュ ルタンスのテュベルーズクリミネルだが、最新は香舗で入手した檜(ヒノキ)のパヒュでウッディな漢に。

2024年8月15日木曜日

Ikezu

よくお得意さんや友人の料理人から「予約時にはボクの名前を使って」と提案していただくが、初めての店は「一見さん」を愉しむことにしております。だってその店本来の姿が見えるからね。

それにしても先日の京都の夜は面白かった。予約の電話からそんなことだろうとは思ってはいましたが、フタを開けてみたら予想以上の扱いでございましてね。カウンター割烹で、左サイドの常連さん(2人)や右サイドの顧客の紹介者家族(3人)には丁重な扱いを。まぁソレに比べたら、私ら夫婦は視界に入ってないのも同じで、ときどきイケズも織り込んでくださいます。

まーね、それなりに酸いも甘いも噛分けてきたボクですもの、心の中では「ホラホラもっとやったれや」ってさ。三時間半の滞在の間に会話を振られることも無く、自分の奥深くに潜むマゾヒズムを呼び起こしていただきました。いやいやイヤミではなく、これも年齢によりなせる業でしょうか、以外に快感でありました。

会計終了後、おもむろに手土産を渡し「今日は愉しい時間をありがとうございました」と礼を述べ、「実はT氏やS氏から、京都へ行くならこちらへ行くことを薦められて参りました。いやぁ、ホントに美味しかったです」なんて重ね重ね。(ちなみにどちらも大常連で、とくにS氏はこの店の恩人の様なもの)

主、頭を抱え込み言葉を失う。そして絶え絶えの呼吸とともに「なぜそれを先に言ってくださらなかったのよぅ」と塀にもたれる。
その御姿、予想していたより衝撃だったみたい。

ボクは「特別」を求めない。ただただサーヴィスは普通にお願い。






2024年8月10日土曜日

Natsuyasumi

井戸端の柿の木に今年もカメムシが襲来であります。キマダラカメムシのなんと薄気味悪さよ。「このさいキンチョールで駆除でも」とは考えるのだが、どーせ焼け石に水でしょうから見て向ぬフリを。だれか良き方法を教えてください。

豆腐の造業販売でございますが、本日八月十日は午前中までの営業で、八月十一日から八月十八日まで夏季休業とさせていただきます。
なにぶん六十代半ばであります。精神と身体に一週間の休養を頂戴いたします。




2024年8月2日金曜日

Osmanthus

告知はせずに顧客向けでしたが、 毎土曜日限定の東雲豆富(写真①②)販売は一旦休ませていただきます。藪入りも近くなりなりまして、豆腐の配送が少々立て込んでしまいました。また初秋ぐらいになりましたら再開しようかとは考えてはおります。秋ヴァージョンはシャルトリューズ(写真③)にくぐらせた金木犀の花を散らします。
離水の早い豆腐ですので、注文ごとの製造で店舗販売のみとなります。賞味期限は30分以内のR45(笑)で。




また夏限定の『豆腐によるスーベニア』は、定数に達しましたので終了となりました。また来年もよろしくお願いいたします。

2024年7月26日金曜日

Byakugun


豆腐を遊べ。目黒区の日本料理店のご注文により、マメ科のバタフライピー色素によるきぬごし豆腐です。名は『白群』であります。上部より円にスライスして摺り流しの浮き身となるらしい。高濃度豆乳+中沢乳業のクレームドゥーブル+粗製海水塩化マグネシウム(にがり)の後加熱方式であります。ちなみに当店は全商品コーティング(乳化)にがりは使用しておりません。
よろしかったら、20ロットからご注文をお受けいたしております。


だいぶ以前、雑誌・クロワッサンで食のギャラリー612主催のたなかれいこさんが提唱していた冷奴がボクの晩酌の定番であります。
「畑のキャビア」とは貧乏くっせーな、などとそれまでは考えておりました。
豆腐とトンブリとおかかと香味野菜であります。トンブリは味覚を邪魔をする風味も無く、なのに口中での食感は楽しい。出汁はジュレで。

2024年7月19日金曜日

Dadaïsme

豆腐屋ゆえに分かるコト。これから夏本番ですが、ほんの少し夜明けが遅くなってきました。

ソフビ製が年月で劣化してしまい、ネットで見っけたデッドストック(そんなに古くは無い)の美品に招来していただきました。9歳の時(1968年)に白黒TVのウルトラマンで出会い、それ以来の愛するダダさまであります。ウルトラQでのケムール人とこのダダさまが、ボクにはデザイン的に壺であります。





昔に比べ家呑みが多くなり、こんな感じの机上の友との会話を愉しんでます。一方的ではありますがね。

2024年7月17日水曜日

Inori

他人(ひと)の街の祭りに、カミさんと数年ブリに。ちょうど京都の絶する暑さの谷間でありました。八坂さんでお参りを済ませ、粽を数点求め、函谷鉾に参加している知人を探し、孫たちに土産を選び、お上りさん丸出しのスマホ(地図)片手の徘徊初老夫婦でございます。


晩は鮎尽くしに酔い(写真無)、帰路前は数度伺ったことのあるトラディショナルな割烹へ。カミさんと二階の座敷に通される。微かに聴(?)こえる隣室客の京言葉以外無音です。骨董の器も現代陶器も上手のモノで、箸キズひとつありません。(料理写真はほんの一部)

落ち着くなぁ、帰る前に精神をリセット。





昨今多い(店に)迎合しなければならぬ料理店ではなく、ここはお客さまに静かに寄り添ってくださいます。店主の御挨拶やサーヴィスの女子さんにも、こちらこそ感謝でありました。現金払いのボクに、帰ってきた釣り銭は新紙幣のピン札であります。すっげぇ。


2024年6月30日日曜日

Summer gift

毎月の赤坂豊川稲荷詣での後は、お世話になっている方々にお中元の手配を日本橋高島屋から銀座松屋まで。とくに関西の方に喜ばれますので、ココには開店50分前に並ぶこととする。

お見事、先頭でございます。
動画を見ながら待つこと50分、開店時には後ろに60~70人は並んでいるのであります。

『』

開店と同時に一人ずつ対応に入られた。二番手以降の強烈な視線の中で、無事に発送用の『フランス田舎菓子詰め合わせ 大缶』2缶と、自宅用ケークの『パールドール』と『パラディ』各ワンホールずつ購入する。

なんだけど、同時にその3アイテムすべてに「本日は完売となりました」の札が置かれてしまいました。

ギフトシーズンとは言え、たったこれだけ買っただけなんだぜ。二番手以降の視線は無視してそそくさと逃げる。
すっげーなオーヴォンビュータン。デパ地下でありながら、夜まで店員さんはお断りとお詫びに徹するワケよ。



2024年6月26日水曜日

To Rakuhoku

同業者のYくんと神保町で鮨食いであります。銀座経由でも予定より早く現着し、神保町だもの、古本屋で時間潰しを。古書はアマゾンで購入する方が劣化の程度が選べるし、モノによっては値段も古書店の数分の一で済む。だけどね、古書店巡りは記憶から消えていた本が見つかる面白さもあります。懐かしい安井かずみさんの著書にするか悩んで、松山猛さんの「少年Mのイムジン河」をお買い上げ。


20分もあれば読めてしまう本でありますが、ボクの一世代前の時代背景が絵本のように描かれております。著者の母堂さまが働いていた関係で、ボクの知人の割烹店も書かれているのも自分的には愉し。著者と同世代の割烹店の主曰く「Mはいつもボクの服を勝手に持ち出しては着てたんだよ」と。今は真逆体型の二人もおしゃれの源流は一緒なんだね。古き良き時代の選ばれし不良たち。

この本の舞台は京都であります。介護生活中は遠出は控えてきましたが、母が骨折で入院中にカミさんと「一泊ででも京都へ行くか」と予約しました。少々の罪悪感もございますが、まぁーね、今年の夏は一度きりですから。暑い京都に備えて、今シーズンは“Panama Montecristi Optimo”をこーた。






2024年6月21日金曜日

Twilight

母が骨折で入院して三か月、91歳でも面倒を見てくださる病院に感謝であります。けっこうな高齢者にもなれば医療もシビアなもので、なかなか簡単には見てはいただけません。
母で知る自分の未来かな。

母の友人知人もほとんどの方が鬼籍に入られましたが、早かった人は40代、ご近所の友人も皆亡くなられてから20~30年過ぎました。長生きはめでたいコトかと言えばそうでもない。
残されるコトは孤独との戦いでもあります。それも母に教えてもらいました。

入院中は少し息抜きができます。
生きてるうち(元気なうち)に愉しまなきゃね。

んで、久々のボトラーズ「サマローリ」のアーデニッスルを。ブレンデッドですから安心価格でございます。サマローリにハズレ無し。


街の時計店が皆廃業されてしまい、昨今主流の新形態修理専門工房にお願いをしましたら、風防交換とオーバーホールで絶句値段でありました。致し方なしですがね。これは20年前のウォッチですが、アンティークウォッチは確実に本体の購入時値段より高くなっちまいます。




2024年6月16日日曜日

INVER HOUSE GREEN PLAID

サラリーマンだった友人たちも定年を迎え、ほとんどは65歳までの嘱託であります。自営業の知人たちも子供たちに委ねたり廃業を選んだりと、向かう先が悠々自適なご隠居さんとはチトと羨ましい限り。ボクはまだとーぶん豆腐屋稼業でしょうかね?節々痛し。

ここんとこ、ウヰスキーの値段も高止まりのままであります。以前のように呑んでみたいボトラーズや醸造所のニューリリースも無いし、あっても値段で買い(え)ません。普段呑みで落ち着いたのが、アードベッグTENとボウモア12ってとこかな。あーあ、一週間前に購入したやつも残量少なくなりまして、また成城石井まで行かねばなりませぬ。


1970年代、ウヰスキーの味も分からず呑んでました。サントリーオールドや角なら上上で、せいぜいサントリーホワイトかニッカのブラック-50だった。たまーに背伸びしてのロンドンパブならコレなんか。当時は舶来高級スコッチのINVER HOUSE GREEN PLAIDなのであります。当時の高級品もオークションで¥3,300なりぃ(ちなみに現行品なら¥1,000前後)。輸入代理店は廣屋(現・国分)で、ラベルは美品で目減りも無しの43度(現行品は40度)であります。キーモルトも今は存在しない蒸留所が数か所あります。
あれからそれなりに場数は踏んでまいりました。あらためて70年代の「soft as a kiss」を愉しんでみます。





UNION BEER

先日は湯島に駐車したのだけど、いやいや人間の欲望に時間帯は関係なく、午前中から風俗店は営業してるんだね。オジさんはおったまげです。

手押し三輪車で移動させてる孫にキャッチの風俗嬢たちも手を振ってくださって、なんだか微笑ましい光景にボクもペコリとご挨拶。3m先行くカミさんや長女の視線を意識しながらだけどね。
昭和の頃のお姐さん方は、スリットのチャイナ服やロンタイにヘップサンダルが営業服だったような。それが今やツインテールのアイドル系やゴスロリで、ベビートゥ靴にカラコンでブライス風なんだもの。流行りは時代時代で変化するのだろーが、お色気とゴスロリが結びつかない昭和の染み付いたボクにはよくわかりません。



最近オークションで見っけ購入。戦前のユニオンビール(⼤正11年・1922~昭和18年・1943)のグラス未使用6個です。薄手ヘロヘロなうすはりグラスで、中々な古拙な作行です。ビールを呑むのは一口グラスはあんまり性には合いませぬ、これは氷温日本酒でやるコップ酒用に。