2022年1月23日日曜日

TORAYA

暇なもんで、昨秋に購入した帽子に仏國のパルファンを撫でつける。1920年代のGrenoville製『Piège』なのね。ボクらしく、ケミカルではない時代の複雑な重厚さを。へへっ、こーゆーことが好きでね。
なのにまだ登場機会は無し。オミクロンでほとんど外出することも無いからなぁ。



還暦を過ぎれば皮脂の分泌も止まるのかね、ニキビも角栓も男臭さも遠い記憶のモノとなりました。集配に来るクロネコヤマト男子に感じる(若い)男特有のカブトムシ臭に、「あっ、昔はオレもそうだったなぁ」などとあの頃がよみがえるんだよねぇ。そして我に返り、抱く黄昏感にちょっとシュンとしたりして。あーあ、枯れる一方よ。

最近はアルコール消毒で掌もガッサガサだし。



2022年1月21日金曜日

Tool


ボクの祖父(母方)の遺産はなんにもありませんでしたが、一本の甘ーい柿の木を残してくれました。晩秋には今もたわわに実ります。

ありがたい。


倉庫代わりに八畳のコンテナを2箇所借りていましたが、大家さんと管理会社とのトラブルで「2月いっぱいで退去してください」と手紙が来たのね。約20年間お世話になっていたので、大豆や梱包資材はもちろんのこと、亡き父親が残した荷物も大量にあるんだよね。残りの約40日でかたづけねばなりません。一昨日は古いエアコンと室外機を家電リサイクル券と一緒に指定引取場所まで。今日も今日とて川越市のごみ処理施設まで、ワゴン車一杯分の不用品を出してきました。あの世の親父を叱ったらいけないが、すんごい量なのだよ。トンカチからドライバーの道具類も総数500種じゃきかないし、同じ品が未使用品含め複数出てくるんだよね。大工さんじゃないのに工作機械や、鮨屋じゃないのに赤銅の超大型玉子焼き鍋、蕎麦屋じゃないのに本格的な蕎麦切り包丁や麺打ち台に麺棒も。父は道具フェチだったのでしょうか?まだまだほんの一部で、仕分け作業と処分場までの往復を考えると頭が痛くなります。



2022年1月18日火曜日

Next summer

友人のアンティーク泥大島(着物)の着こなしがカッコ良くてねぇ、すっかり影響されてしまいました。と言いながら、小千谷や白紬の安価な夏着物しか持ってないけどね。旅先などで骨董屋をのぞくのだけど、一度たりともボクの身体に合った着物は無いんだ。それに無理に羽織ってもバカボンだし。なにしろ背丈が5,9尺だから、日本人の古い品では見つからないのだよ。



ヤフオクで桐箱入りの古い能登上布を落札したのだけど、これも残念ながらボクには小さくてねぇ。中古なら手を出さないのだけれど、今回は上布の未使用品だったから購入しました。豆助なら大丈夫そうだし。落札価格は現行品の百分の一以下なんだぜ。ボクの持ってる白紬がオックスフォード生地なら、これはブロードのような細糸で目の詰まったしなやかさなのだ。本麻なのにさすが上布だね。おもしろいモノが発見できるのもオークションならではで、現代では再現不可能な工芸も多々見つかります。その方面は詳しくはないけれど、上布でも有松絞りでもアンティークの方が上質のような気がいたします。なワケで、昔の有松絞りも¥1,100で落札だもんね。
こーゆー時こそケチらずに、仕立ては手縫いでやっていただきます。




2022年1月10日月曜日

Reservation

風花舞う京都を歩くとき、カフェで購入する温かいコーヒーはありがたい。三条大橋から見る洛北方面の景色が白色に煙ります。
正月三日ですからね、観光都市とはいえ営業をしてる割烹も半々以下ってな感じです。
難民にならぬように手配は怠らず、おかげさんで寡黙な店主と松下奈緒さんによく似た美人の女将の店に。酸いも甘いも嚙み分けた店主の店には、いまさら何の気合も緊張もいらないんだな、身を任せれば良いのだからね。一皿一皿の料理は、滋味溢れ舌で確認するまでも無く胃の腑に落ちます。
旅人も穏やかな愉しい時間が過ごせます。
まだ白木の香りも清々しい『川溿』さんにて。



んで、今回の旅先での記念購入の器はこんなんを。清水ちゃわん坂のギャラリー『たきぐち』さんで、作・滝口 和男氏のぐい吞み(?)を。ボクは肴(珍味)用で使うつもりですが。
面白かったのが、骨董とは言えない程度の古物も扱ってたのね。たぶんだけど昭和40~50年代の清水焼の徳利があったので購入した。徳利も猪口も小さめで、掌に納まるサイズが好みだったもので。




2022年1月6日木曜日

Asuka bito

半世紀以上前、小学校では郷土クラブに所属してまして、皆で近隣の神社仏閣、城跡や貝塚などの縄文遺跡めぐりが楽しかった思い出があります。歴男を名乗るほど熱心ではなかったけどね。


そんな頃にカラーブックス(保育社出版)でカメラマンの入江泰吉(1905年ー 1992年)さんを知り、古都奈良の美しい写真に感動して手紙を送った身の程知らずの小学生でございました。(当時の書籍には、今では考えられない著者の住所も記されてましたので)ほどなくして泰吉さんから下敷きサイズの阿修羅像の写真と五重塔の風景写真が送られてきましてね、子供ながらにいたく感激した記憶があります。大人になって分かったことは、入江泰吉さんはその世界での大御所中の大御所だったことでした。なんとまぁ、、、
残念ながらその写真は手元にはありませんが、今もある泰吉さんの写真集はボクの意識の中の何かを震わせます。




今回、時間が空いたので奈良に向かうことに。あの泰吉さんの写真から6-70年後の今を見てみたくなりまして、レンタカーで大宇陀や明日香界隈を走ることにしたのね。上記の写真は飛鳥寺にて。寺の案内人さんが「美しくお釈迦様を撮ってくださいね」とのことでしたので。 現代飛鳥人(びと)のなんとおおらかなことよ。(これが京都じゃありえねぇぜ)

もうひとつ、興福寺に現存する「山田寺仏頭」はボクの歴史浪漫のひとつでありまして、帰路前に桜井市の「山田寺跡」に向かうことに。
疲れてるカミさんをレンタカーに残し、寒風吹きすさぶ人っ子一人いない広大な伽藍跡に立ち360°見渡します。

「う、う、う、たまんねぇ、、、、太古の空もこんなんだったのかな」


以前に訪ねた戦国時代の山城と古戦場では、帰宅するのに背中に誰かを背負って帰ってしまいましてね、ご帰還していただくまで片頭痛と肩こりで大変苦労をいたしました。憑りつかれやすい体質みたいです、へへ。
今回は流石に白鳳や天平の殿上人だけあって、ボクとは家柄合わずにひと安心で。


Dashi

関西へと向かう「のぞみ1号」で、車窓から見る関ヶ原辺りの雪景色で旅心マックスに。関西での用事が終えて京都に途中下車。風花舞う松の内の洛中を超デカのバックパックを背負い歩くことに。

先ずはカミさんを誘っていつものうどん(きしめん)屋さんへと行く。新京極と言う繁華街の大衆店なんだけど、見てお分かりの通り出汁が旨いのなんの。コシの無いベトナムのフォーのような麺とはぴったんこなのね。とろりでつるり。ボクの場合、コシの強さも好いけれど、喉ごしの良い伊勢うどんや博多のうどんも好みなのです。おろした生姜の利いたあんかけ「たぬき」と「(刻み)きつね丼」は定番で。関東とは違う出汁文化を啜り、川島雄三監督の映画『暖簾』を思い出します、ハイ。



今回の旅では、あらためてオミクロン株に対する人々の警戒心を知ることになったのね。ボク自身もここ数年の経験で他人(ひと)との距離感は気を付けてはいますが、それ以上に警戒される場面が多かったのもほんと。

しばらくはひっそりと生活いたしましょうか、、、