2025年12月24日水曜日

Mochihana


この季節、店にはとーぜん餅花を。師走も終盤に入り、さすがのボクもカウントダウンであります。

拝啓師走の候、時下益々ご盛栄のこととお慶び申し上げます。 本年は格別のご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。 2025年12月27日(土)より2026年1月4日(日)まで年末年始休業とさせて頂きます。 御迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
最終日はご予約を頂ければお取り置きいたします。また年明けは1月5日(月)から通常営業となります。

2025年12月21日日曜日

Twentyfive years ago

恒例のブクロ呑み。仕事が終了後、電車で30分立ちん坊して夜の池袋に。クリスマス商戦大々混雑の百貨店で手土産を購入し、ジュンク堂を左折した『硯家』さんまで小走りで。小雨交じりの雑司ヶ谷の夜、同世代とちょっと妹世代の姉妹とで長尻飲酒を。お互いに今年一年を無事に過ごせた感謝をビールで乾杯、そして肴をあれやこれやつまみながら個々の近況報告を。
同世代で生まれ、子供の頃から見てきた景色(時代)もテレビ番組もほぼ一緒、説明無しでの阿吽の呼吸がありがたい。なにしろブクロ駅前のトロリーバスの架線の情景も知ってるお仲間だもの。今年もありがとうございました。海野かつを風に「来年もよろしくネッ、ネッ!」

写真も撮るのを忘れ、ひとりで喋り倒して吞んじゃって。お恥ずかし。

さっそく緑茶を淹れて、頂戴した手土産をいただきました。


年末にちょっと寂しいお話を。 先日掃除をしたときに、約25年前の飲食店の顧客リスト(約200軒~)が出てきましてね、今も取引のある店以外を検索することに。

まぁ四半世紀が長いか短いか、その九割五分以上の飲食店がすでに存続していませんでした。中目黒や恵比寿に展開していた大人気居酒屋も、渋谷の話題の立ち飲みの店も無く、食べログで「掲載保留」も多いが、検索してもまったく痕跡も無い店も多々でありました。残っていたのは日本そば店や鰻店などの専門店や老舗限定で、飲食店の変遷の激しさに予想以上におったまげてしまいました。

ただし、「ひとつが終われば、また新しいひとつが生まれる」それもまた飲食業の歴史でしょうか。

2025年12月19日金曜日

Tsuru&kame


縁起物を生活に取り込み、日々愉しみながら「祈り(感謝、願い、導き)」を伝えます。いいのいいの、自己満だもの。んで、(たぶん)今年最終の鶴と亀(写真①)。



鏡餅用の橙(写真②)と裏白(写真③)と柿串が届いた。あとは御餅の遠来を待つばかり。
毎年、金沢のご贔屓様から頂戴する紅白の鏡餅でございます。ありがたやありがたや。いつもは一升×2ですが、今年は五合×4個でくださいな、っとわがままを言う。
店用、自宅用、神棚用、井戸端用にいたしましょう。

鏡開き後に水餅にして雑煮とぜんざいに。橙(だいだい)は水炊き鍋のポン酢に再利用へ。

2025年12月14日日曜日

December Rain

昨夜から雨です。ただ今夜明け前ですが、冬の雨は降雪より寒いです。

知人より懐中汁粉を頂戴する。
子供の頃は餡子(アンコ)が苦手でねぇ、それが不思議なもので30代後半ぐらいから好物となり、50代に入る頃には「一週間で五食は食べているかな」とまでなりました。ただし好みがあって、甘さは控え目でね。
晒し餡に浮かぶ(餅代わりの)最中も懐かしく、下手にすすると唇に熱い最中がくっ付いてね。「アチッ」ってことに。本来は夏のモノと教えられていたけど、この温かさは寒い夜にもとーぜんありがたい。京都の『鍵善良房』さんの烏帽子の形をした品です。京都南座に吉例顔見世興行に行かれた方からのお土産です。定番、塩昆布を添えて。



さすがに懐中汁粉にはお酒じゃないな。
この季節、温かい川原製粉所の麦茶などを。冬専用の麦茶です。好きと嫌いで好みの別れる蕎麦花の蜂蜜をたらすと、(おおっ!)と、硬質な漢味となりまする。

戦前の乱歩の時代がボクの憧憬の的であります。趣味が良いか悪いかは置いといて、古道具屋に美品のティーセットがあったので入手する。昭和初期頃のオールド深川製磁です。コレって?カップ&ソーサーではなくマグでもなく湯飲なのね。柄もアールデコの影響を受けた「よろけ文」であります。戦前の深窓の令嬢の住まわれたお屋敷にでもあったものでしょうかね。




2025年12月10日水曜日

Caraméliser

豆腐屋のボクが言うのもなんですが、よくある「Soy・・・」って飲料や食品があるけれど、やはりドカンとくる美味しさは乳製品にはかなわない。

だからこそ「大豆食品はヘルシー」だけじゃイヤなんだよなぁ、旨くなくっちゃね。



生クリームならスイーツとなりますが、豆腐でディップ感覚にすることで料理の範疇に。大徳寺納豆を塩味プラスで数粒入れてオレンジキュラソーも適量垂らし、豆乳濃度高めの木綿豆腐をフードプロセッサーでミクロまで。物足りなかったらアニスシードでも。ドライ系の干し柿を焦がしの強いキャラメリゼ(飴掛け)にして冷やし、スプーンでもったり乗っければ完成です。枝を持ってソース感覚で絡ませてね。口中パリパリと楽しいよ。おかずにはならぬが、度数高めでトロみのあるモルトにゃ好いかもです。(干し柿から水分がでると飴が固まりません。割らずにまるまる一個使ってね)まーね、ただの『干し柿の白和え』フルーツ飴ヴァージョンなんだけどさ。

食は知性でございます。


2025年12月7日日曜日

Gift 

京都が地元か川越が地元か分からないほどの京都フリークの友人のお土産です。せっかくだもの、独りで夜明けのコーヒーを。毎度のハワイのKona coffeeでありまする。


今年はバタバタと忙しかったので、この時季恒例のお歳暮の手配が終わっていない。大半のお世話になっている方々には、カミさんの実家が肉問屋でありまして、生体の段階で肩の肉付きからセレクトしてもらい配送していただいてます。

ただ小さい子供がいる人や女性がメインの家族の方、また少人数のご家族の人には保存のきく御菓子などに変更しております。近々行ってきまーす。



2025年12月2日火曜日

Teishaba

ボク「小野哲郎」の名付け親は、ご縁がありまして相原求一朗氏と言う画家であります。
(北海道中札内美術村に六花亭コレクションの『相原求一朗美術館』有り)

生前に氏から頂いた、北海道の初冬の停車場を描いた小品がボクの手元にあります。毎年この季節になると、書斎の壁に下げ対座することとしております、ハイ。だって、もうすぐ冬だもの。

1975年の作品であります。
初冬の停車場と葉も落ちたポプラの樹、たまらんほど旅情をかき立てられます。



コロナ禍以降は書斎で過ごすことが多くなりました。
フと想う、自分の書斎の完成度追求もそろそろいいかな、とかね。



ヘヘッ(笑)、いやいやまだまだ、最近仲間に加わった照明なのね。(大正時代~昭和初期製)

かれこれ四半世紀も前のこと、「それは非売品です」と骨董店でお断りされた同系の電笠を見つけました。京都新門前の骨董店『観山堂』さんのショーウィンドウの照明ね。たぶん今も同じではないかな。形状はあちらの方がもう少し丸みを帯びているかも。寒色系カラーなのだけど、橙の電球色と合わせると郷愁漂う朧花色となります。冬の寒色もいいかも。