2024年9月29日日曜日

Kikka


深夜に小津安二郎の『麦秋』(1951年製作・松竹)を観る。

娘(原節子)を想う家族の心象を描いた心優しい内容なのだが、現代作品では考えられぬ放送禁止用語やちょっとしたパワハラやセクハラも普通に織り込まれていて面白い。普通にリアルなのであります。
立場的に当てはめると、ボクらは両親役の菅井一郎(当時44歳)さんと東山千栄子(当時61歳)さんとなるのだね。衝撃ですが、1951年の日本人の平均寿命は男60,8歳女64,9歳だったのね。

ありゃりゃ・・・

今や80歳超えだもの、医療の進化に拍手。

秋の夜長であります。磁器製の菊花香立てを入手して、早速昨夜、伽羅を灯してみた。
どう?いい感じでしょ。

2024年9月25日水曜日

Old Bottle

故・成瀬巳喜男監督の『女が階段を上る時』(1960年製作)の舞台は銀座三十間堀川沿いのBAR『ライラック』、そのバックバーにはこれが並んでいた記憶が。(あやふや)

入手したヴィンテージの赤蝋VAT69を開栓するのだが、さすがに65年からの古酒はコルクもきっとポロポロだろーね。で、開栓したら、やっぱりポロポロでござんした。
裏ラベルにある輸入元は江商株式会社です。兼松との合併前ですので、1967年以前のスコッチであります。プラス首ラベルの『雑酒』表記は1961年以前ですし、ってことは、それ以前のダンピーボトルでございますね。たぶん1959年生まれのボクと同じぐらいでしょうか、キーモルトは今は存在していないグレネスクか?65年の時を経て開栓したばかりですのでまだ何とも言えぬ。軽やかでないのは確か。

ボクがオールドボトルを好むのは、今は亡き親父や祖父たちの時代の酒を呑むことで、時を超えて酌み交わすような感じかな、って都合の良い言い訳をぬかす。
ヴィンテージワインと違って、ブレンデッドの古酒は適価で入手できますで。





2024年9月23日月曜日

Edo



連休ですが特別な予定は無し。んで、ちょっと時期尚早なのだが、関西の知人への土産を入手しに浅草と銀座へ。先ずは腹ごしらえで上野『ぽん多』でポークソテーを食すことに。少し雨がパラついたせいか、開店時間を10分過ぎていたけど一巡目に。キスフライもハーフでいただく。朝飯を抜いてきたので胃袋が呑み込むのを急ぐ。ああ、沁みる。いつ来ても間違いのない味で美味しい。着皿から20分で平らげた。

時間を掛けて浅草での買い物を済まし、銀座に移動して買い物と甘味を。バナナサンデーを銀座ウエストで。ぽん多もウエストも定番中の定番だけど、旨いんだもの。


2024年9月19日木曜日

Kangetsu

中秋の名月の晩、仕事後のグラス一杯のロックで寝落ちしてしまい、中秋の名月を見損なってしまった。気が付いたら少し雨模様で、見上げてみたが頭上はもちろんのこと遠い晴れ間にも見つからなかった。せっかくソレ用の棹菓子を用意したり団子を作っておきながら、やっちまった片月見。トホホ。



最近は和菓子業界もどんどん変化してましてますねぇ。ただパステルカラーな練り切りを作れば映えて売れるものではなく、発想と言うかセンスと言うか若い菓子職人の天賦の才にはおったまげです。

今宵こそ羊羹にて観月を。(乃し梅本舗 佐藤屋謹製)


団子は自作のボウモア(モルト)を仕込ませた白玉で、みたらし餡はやめて鴻商店の生砂糖に少々の白醤油で蜜を作る(強い個性を好めば、蜜側でボウモアを)。食す前にやまつ辻田の山椒粉をパラパラと。茶は台湾茶葉に金木犀をプラスして。


<<ローカル話題であります>>
先日のこと野暮用で車を走らせていたら、たまたま「なぜここに?」ってな場所に小体な御菓子司ができていた。覗いてみたら真面目な御菓子が並んでいまして、話をしたら若いご夫婦で、これまた真摯な対応でありました。川越からも茶道関係の注文が多いらしい。(撮る前に孫の口にはいってしまったので、写真は無しで)
県立日高高校前の『四季菓 りょう』さんです。

知人の川越の餅菓子店も娘さんが跡を継いたけど、最近の若い女性は将来が愉しみな子が多いねぇ。









2024年9月15日日曜日

Le Manoir D’HASTINGS



本日、古書店で注文していた1990年12月号の雑誌『太陽』が届いた。特集は「フランス料理の新世紀」であります。表紙はフレンチ(LA PRIMEUR)から転身した「ぎたろう軍鶏 炭火焼鳥 たかはし」の高橋祐二氏で、若手で紹介されているのは、他に宮代 潔氏(Km)五十嵐 安雄氏(CLUBU NYX)田辺 年男氏(A TA GUEULE)小峰 敏宏氏(LA TABLE DE COM・MA)北島 素幸氏(北島亭)斉須 政雄氏(Côte d'Or)であります。1956年生まれの小峰氏以外は皆70代で現役。小峰氏も故郷に戻り続けられている。まだまだ65歳のボクが年長者の料理を食すことができる。フランス料理はすんごいなぁ、、、


たまたま今日の昼は五十嵐シェフの銀座『Le Manoir D'HASTINGS』で初老♂二人フレンチを。いつもお世話になっておりますイラストレーターD氏にお礼のつもりでね。美味いのよ、ほんと美味いのだよ。和食が生活の99%のボクだけど、ここを目指すとなると数日前から節制しますもの。






Kappo





たまたま、1991年の雑誌『太陽』を古書店にて購入。特集は当時の先端の割烹店であります。思わず「おおっ、懐かしいねぇ」と、若かったから怖いもの知らずで訪ねた店も数店ありました。京都の「ふきあげ」さんや人形町「きく家」さんは今も交流はありますが、掲載店の八割方がもう存在しておりませんでした。たった33年なんだけどね。


最近は仕事関係含め出会う方々は年下の人間ばかり。例えば外食をしても料理人はほぼ年下で、それも20~30歳も若かったりしてね。若い人には夢があり、未来を語る姿は実にエネルギッシュで好いのだけれど・・・

ちょっとジィさんは疲れてしまう。

ここんとこ、若い頃のように年長者に心身をゆだねられる店を探してしまいます。

Natto


半世紀以前はこの街にも納豆屋さんはたくさんあったのね。それこそひと町内に一軒ぐらいの。それが豆腐屋以上に消滅するのが早かった。スーパーで買えば物価の優等生だもの、それも致し方ないことだったのかね。画一化した味と食感に慣れてしまった今だからこそ、ボクは取り寄せて愉しんでます。とくに北関東や東北、地域性の違いは面白いぞ。

納豆はパックのまま食べることはいたしません。かならずそれ用の器に入れて練ります。たとえ付属していてもタレやカラシも使いません。本和芥子を湯で溶き、生醤油で食すこととしております。こだわってるワケでは無く、そっちの方が美味しいんだもの。今は無い大豆問屋の営業が言ってた「ひきわりは(どーせ砕くのだから)上質の大豆は使わないよ」が脳裏にあり購入はしない。食したいときは納豆を自分で叩きます。通ぶるのなら「納豆は大粒に限る」ですが、御飯との絡みで小粒が好み。
いつもの舟納豆(茨城)が「お取り寄せ」で届いたので、いつもの納豆用の器で捏ねる。これ以上は無い高取焼の向付であります。高取釉はほんとうに美しい。薬味は葱か茗荷か塩麹も、本日はエシャロットを縦切りで。


2024年9月4日水曜日

Obon

書斎はボクの秘密基地です。
やはりコロナ禍の影響はあるのでしょうかね、あの頃から自宅書斎での独り呑みが主流です。その日の気分で酒を選び、簡単にちゃちゃっと肴を皿に置く。呑んだらそのまま寝落ちして、早朝っていうか深夜に目覚めて後かたずけを。そしてお仕事。

独りって悪くないなぁ。

ときにジオラマや箱庭のように、盆の中は自分だけの小宇宙であります。晩酌の宵は、酒器や肴皿をあれやこれや考える愉しさがあります。これは京都の指物師二代目川本光春・作の松の木盆で、細部の仕上げも漆器の木地師とは異なりますねぇ。人間(ひと)ではなくモノと対座する。それもまた愉し嬉しです。





2024年9月2日月曜日

Aburaage

昨日、隣町のスーパーへ食材を仕入れに行ったら、もう新米が売り場の壁一面に高く積まれていたのね。あっけなく米騒動も終了でありました。


焼いてから葱やら茗荷を乗せて、ちょろっと醤油をたらして食べるの人が多いかな。って京都の人に言ったら、「へぇ、お揚げさんを焼いて食べますの?」って(凄く)驚かれました。生粋の京都人の彼女には、油揚げは炊いて食べるモノらしい。たしかにボクも菜っ葉と炊いた(煮る)のが好みですが、地元のお客さんたちは、皆味噌汁やお稲荷さん以外は焼いて食べていると言う。例えばピッツァ台にしたり。西と東では油揚げに対する考え方は違うみたい。やはりそのお方が言うことでは、京都はお豆腐よりお揚げさんの方が食卓に上がることが多いとのことでした。(へぇ)
今現在の油揚げの大豆は宮城産のタチナガハ種です。お取り寄せは関西はもちろんのこと、意外に多いのはうどん圏の讃岐です。

酒の肴でゴルゴンゾーラと油揚げとオリーブオイルと塩コショウ。あと小葱を散らす。揚げの油が太白胡麻ですのでゴルゴンゾーラに。菜種ならコンテの方が好いかも。