先々週の土曜日に、旧知の大豆商社社員とBAR宗愚(自宅書斎)で呑んだのね。
たまーに呑むのだけれど、やはりご時世がら外呑みは止めてお家(うち)で、ってことに。この日の彼は自宅のある荻窪からの車出勤は止めて、電車出勤にしてもらう。「哲っちゃん、安酒でごめんね」と言い訳をしながら、一升瓶を下げて約束の時間にお出でになった。こいつは酒どころ新潟出身の呑兵衛だからねぇ、同じペースでやったらこっちが大噴火間違いなしとなります。まぁね、決まりきったコロナ禍の愚痴や、たわいのない世間話とエロ話でお開きまで。年齢はボクより少し若いけど、終始聞き手に徹してくれるのもありがたい。午後九時を過ぎた頃に、「また呑もーな」と握手して彼を見送りました。
出会いは彼が19歳の時、上背180以上で、テノール歌手・秋川雅史ばりの甘いマスクだった。イケイケで地元のスナックではそれはそれはモテ漢だったもの。そんな彼も50代半ば、年齢なりに(そこそこ)酸いも甘いも噛分けて、背中には(そこそこ)人生の悲哀が漂う漢になりました。おぼつかぬ足取りと座った目つきで振り返り手を振る姿に、「あいつ、少し酒が弱くなったなぁ」と思わず苦笑したボクでございます。
数日前に彼からお礼の電話がありまして、あの日の帰路は寝過ごして荻窪で下車できず、気が付いたら終着の高尾駅だったそうです。
ご苦労様でした。
写真①は料理人 立原 潮氏(立原 正秋 長男)の著書からパクり、〆鯵のタバスコ和えと輪違オリーブを唐津の作・中里 隆に乗せ酒肴に(本文では〆鰺ではなく烏賊)。②は彼の手土産の〆張鶴。③はその日の徳利(たぶん丹波)と猪口(濁手古伊万里)。
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