性懲りも無く、
ありとあらゆるモノたちが増えてゆく。
とくに陶磁器。バル的な飲食店なら五軒分はあるぜ。
ただ今、(ウフフ)さり気に自慢こきました。
ウヰスキーの供には塩豆が定番、
その塩豆用に小皿をゲットした。
因みにアタシが買う塩豆は、
浅草田原町の『ほていや 中塚商店』です。
湯島のあの老舗BARもここのなんだな。
戦前の東洋陶器製(現TOTO)でして、
葡萄の絵柄にもアールデコの影響がありますねぇ。(そーでもナイか?)
直径12,5㎝っつーのもお手軽サイズです。
すでに80年ぐらいは経過してますが、
デッドストックでも、この類はまだまだ手頃ですぜ。
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ご近所に住んでいた一人暮らしの老人が亡くなった。
とても品良く見識を備えたご婦人で、
その審美眼で集められた骨董品も多数あったらしい。
悲しいかな、
亡くなると同時に親類によって業者に処分され、
その他の価値が無いとみなされたモノたちが、
今朝ほどゴミの集積場で雨に濡れていた。(実話)
切ないねぇ。
初期伊満里 解らんヤツには ただの皿(お古)
チト考えさせられた。
2 件のコメント:
ものすごく嫌な言い方をするのならば…
死ぬ?死すべきは老婦人ではなく、周りの人たち。
生物学的な死ではなく。魂の死。
でも、審美眼が無い、若しくは低い(嫌な言い方)…
人たちが居てこそ、良き審美眼も引き立つという、
パラドックスにも陥ってしまうのでしょうけれど。
大兄、ご教示ください。
審美眼なんて、ある意味へっちゃらな人生をゆくのか、
それとも拘泥(悪い意味ではなく)して生きるのか。
なんてね。
百歩譲って、集積場へ投げる、ホカスものでは、
ないですよね。
大兄もそこんところ、よろしく!って、
ことなんでしょうけれど。
えっ?僕ですか?
そりゃ、良い悪いかは別にして、審美眼を有する…
又は有するように努力する人生を送りたいものです。
笑(しょう?翔?)です!さま
知ってる幸せ、知らない幸せ、
知ってしまった不幸、知らない不幸。
審美眼が深いほど、
その作品の作り手の力量まで見えてしまう。
そしてそれをセレクションした人間の器量さえも。
たとえ料理を食わずとも、
器を見ればその料理人の限界も分かります。
たくさんの無駄や寄り道で知りえるコトですね。
死によってその人の時間は止まるけど、
生前いろいろお話を聞かせていただきました。
私の中にもそのお方の美意識が、
ほんの多小でも流れたと信じます。
アタシって、ナニ様なんざんしょ。(へへ)
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