1960年代後半に装苑賞を受賞しパリに。
フリーランスでFiorucci(フィオルッチ)やDOMON(ドモン)のデザイナーに。
1980年にパリに TOKIO KUMAGAI を設立。
1987年、毎日ファッション大賞受賞。エイズにより死去。
1985年頃、まさにバブルの時代に日本進出し、
デザイナー熊谷登喜夫氏の死後2年でメゾンは解散、
あっという間に終焉を迎えたブランドでした。
とくに靴のデザインは定評があり、
幅広い年齢層に人気があったんだけどな。
つい最近のことなんだけど、
たまたまデッドストックの TOKIO KUMAGAI の靴をゲットした。
メッシュ革と言やぁ、
ステファンケリアンかボッテガヴェネタってイメージだったが、
没後25年の TOKIO KUMAGAI っつーのもオチャレやろ。
かなり尖がり気味、かなりタイニー、
そしてかなり繊細な作り。
最後のコレクションのランウェイかしら?
おお、2番目のモデルが我妻マリさまで、3番目が林マヤ、
それにしても旧さを感じねぇぜ。
まぁ当時 HIV は不治の病だったですからね。
今なら死ぬことも無かったろうに、モッタイなかったね、その才能。
3 件のコメント:
トキちゃん、よくおいらの働いていた店にも来てました!
今やスーパースタイリスト番長の野口強くんがいつもご一緒でラブラブでしたね?
おいらはもう少し前ですがブリックスにハマリマした。
ラーフォーレ前、ロッテリアがあるビルの上にあってよく行きました。
ほんとに高橋ユキヒロがデザインしてたのかな?
そういえばあのビル、ディスコあったな?
http://www.youtube.com/watch?v=bupIf18R1cE&feature=related
ボビートさま
先日の偶然、
アナタとの切っても切れない絆を感じましたよん。
当時のかっこいいクリエーターたちが、
どんだけ亡くなっちゃったでしょうね。
まぁ医療の進歩のありがたさ、
現代なら生きられたのにね。
ティナ ラッツさまの死は悲しかったですよ。
セントラルアパートですか?
あっ違うか?
明日は、久しぶり原宿行ってきまーす。
登喜夫先生は何度かお見かけした事があって、カッコ良かったです。ブリックスはガゼットビルにありましたよね。たしか同じビルに「イベリア?」ってディスコがありました。
コメントを投稿