半世紀以上前、小学校では郷土クラブに所属してまして、皆で近隣の神社仏閣、城跡や貝塚などの縄文遺跡めぐりが楽しかった思い出があります。歴男を名乗るほど熱心ではなかったけどね。
そんな頃にカラーブックス(保育社出版)でカメラマンの入江泰吉(1905年ー 1992年)さんを知り、古都奈良の美しい写真に感動して手紙を送った身の程知らずの小学生でございました。(当時の書籍には、今では考えられない著者の住所も記されてましたので)ほどなくして泰吉さんから下敷きサイズの阿修羅像の写真と五重塔の風景写真が送られてきましてね、子供ながらにいたく感激した記憶があります。大人になって分かったことは、入江泰吉さんはその世界での大御所中の大御所だったことでした。なんとまぁ、、、
残念ながらその写真は手元にはありませんが、今もある泰吉さんの写真集はボクの意識の中の何かを震わせます。
今回、時間が空いたので奈良に向かうことに。あの泰吉さんの写真から6-70年後の今を見てみたくなりまして、レンタカーで大宇陀や明日香界隈を走ることにしたのね。上記の写真は飛鳥寺にて。寺の案内人さんが「美しくお釈迦様を撮ってくださいね」とのことでしたので。 現代飛鳥人(びと)のなんとおおらかなことよ。(これが京都じゃありえねぇぜ)
もうひとつ、興福寺に現存する「山田寺仏頭」はボクの歴史浪漫のひとつでありまして、帰路前に桜井市の「山田寺跡」に向かうことに。
疲れてるカミさんをレンタカーに残し、寒風吹きすさぶ人っ子一人いない広大な伽藍跡に立ち360°見渡します。
「う、う、う、たまんねぇ、、、、太古の空もこんなんだったのかな」
以前に訪ねた戦国時代の山城と古戦場では、帰宅するのに背中に誰かを背負って帰ってしまいましてね、ご帰還していただくまで片頭痛と肩こりで大変苦労をいたしました。憑りつかれやすい体質みたいです、へへ。
今回は流石に白鳳や天平の殿上人だけあって、ボクとは家柄合わずにひと安心で。
2 件のコメント:
なごり雪さま
おはようございます。
偶然ですが田舎者も
〝仏像を観る″入江泰吉・写真 紀野一義・文
をもっています。そしてこの言葉が心に残っています。
仏さまは見に行くものではない。お礼を言上に行くところ、
心に秘めた世界を打つ明けに行くところ、死んでいくときは
お頼み申します、とお願いしに行くところである。
それではまた。
田舎者さま
なんだかねぇ、コロナ禍で宗教感が変わってしまいました。
仏像はただの木偶かもしれませんが、長い歴史の中で幾億万の願いがしみこんでいるわけだからね、
ボクも不思議と手を合わせてしまいます。
その代わり、生き神などいるわっきゃないと最近知りました。へへっ!
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